出会いから出版まで

―アンモナイトに魅せられて(1)―

福岡幸一 (版画家)

私とアンモナイトとの直接的な関わりは1978年(昭和53)に民間研究者・二本木光利著『わたくしとアンモナイト』を入手した時から始まった。その中に産出情報もあり、三笠・芦別へと化石の採取に行く機会を得て、その後、アマチュアの会「札幌中央化石研究会」に入会することになった。そこで出会った化石の先輩たちにアンモナイト採りの醍醐味を教えられた。私はアンモナイトの形の多様性に魅せられ、ノジュール(化石を含む石)から掘り出す「クリーニング」に取りつかれた。また、化石の形状を知るために、文献の収集を始めたが「アンモナイトを網羅した本」を見つけることができなかった。1990年、会で本を作ろうという気運が盛り上がったが、結局は私自身がアンモナイトの本作りをすることになってしまった。民間愛好家72人、北海道大学、東京大学、国立科学博物館、三笠市立博物館などの公的機関13カ所と若い研究者たちが協力をしてくれた。とりわけ三笠市立博物館のアンモナイト研究者、早川浩司さんには絶大なる協力をいただいた。民間愛好家の標本の中には属の不明10、種の不明124もが研究者の目に触れられることなく眠っていたのだ。北海道白亜紀のアンモナイトの奥深さが、私の『北海道アンモナイト博物館』(2000年北海道新聞社刊)を通して明らかにできたと自負している。

1994年、糸魚川にナウマンの功績をたたえてフォッサマグナミュージアムが開館した。そこにドイツから北海道ゆかりのアンモナイトが里帰りしていた。その標本も初めてカラー写真で紹介することができた。

シャーペイセラス
2006年 シャーペイセラス 24.7cm×28.4cm

アンモナイトは、約4億年前の古生代デボン紀前期から6500万年前の中生代白亜紀末までの3億3500万年間繁栄していた頭足類の仲間である。絶滅したためその姿は化石でしか見ることができない。

アンモナイトは殼を持っているオウムガイに類似していると考えられていた。が、最近の研究ではイカやタコ共通の祖先、バクトリテス目が直線上で殼を丸く巻き、最古のアンモナイトのミニゴニアタイトヘと進化したもので、現在のイカに殼を付けた形態だと考えられるようになってきている。

アンモナイトの研究は1800年代から始まり、1884年、古生物学の父と言われているドイツ人ツィテルによってアンモナイト目が設立され、学術的な位置付けが確立した。化石は世界中で発見され、今日までに1万を超える種類が確認されている。

北海道では、開拓使の御雇い外国人でアメリカの地質学者ライマンらが、1873年から76年(明治6~9年)に地質や石炭などの調査の際、化石を採集した。これらの化石を当時日本に滞在していたツィテルの弟子でドイツ人の地質学者・古生物学者であったナウマンに鑑定を依頼した。彼はその成果を1880年、論文「蝦夷島(北海道)における白亜紀層の産出について」を発表した。これらの化石はドイツのバイエルン国立古生物学地史学博物館に保管されている。横山又治郎はドイツに留学中、その化石に基づき1890年「日本の白亜紀の化石」を発表した。アンモナイト研究は日本で最初の化石の研究であり、まさに北海道は日本における化石研究の発祥の地ということができよう。

シャーペイセラス(Sharpeiceras kongo)は白亜紀セノマニアン層にあり、この標本は三笠から産出したもので、三笠市文化財に指定されている。シャーペイセラス属は腹部側に3個の突起を持ち、背中に2列の突起がある。気房から住房まであるのが分類的特徴である。この属は北海道では三笠、夕張、穂別などから産出している。

『美術ペン』120号(2006年12月30日発行)より

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