アンモナイト採取は楽しい

―アンモナイトに魅せられて(2)―

福岡幸一 (版画家)

1978年(昭和53)のことである。民間研究者・二本水光利著『わたくしとアンモナイト』を入手した。私は大ハンマー、手ハンマーなどを用意しこの本を片手に土地勘のある芦別へ化石採取に向かった。両岸とも白亜紀層だという芦別川本流の河原を丹念に探し始めた。が、どんな石にどんな状態で入っているのか皆目見当がつかない。すでに割られてあった欠片の情報を学習しながら石を叩き、やっとアンモナイトに対面できた。すでに薄暗くなっていた。時間を作ってはこの河原に通った。この間、二本木さんの自宅を何度も訪れたものだった。

ポリプチコセラス
2004年 ポリプチコセラス 20.0cmx24.7cm

1984年、「札幌中央化石研究会」というアマチュアの会へ入会することができた。そこには多くの化石の先輩たちがいた。例会、行事にはまめに参加した。私はアンモナイトの形の多様性に魅せられ「クリーニング」に取りつかれた。タガネはクリーニングをする重要な道具だが、芦別、三笠、夕張などのノジュールは硬く、すぐ先がダメになり困っていた。先輩に鉄鋼ドリルをタガネに使うことを教えて貰い、何処の産出地でもこなせるようになった。クリーニングの腕も上がり、さらにのめり込んだ。

先輩たちに「アンモ狩り」に同行させて貰えるようにもなり、三笠、夕張、芦別、小平、羽幌など採取地も広がっていった。この道20年を超える先輩も多く、河原、川の中、沢歩き、時には沢の先の平らなところ(かっち)まで登り切ると、そこには時折誰も探せなかったアンモナイトがある。地層を探し崖を這い上がり岩盤を掘りノジュールを探す。

ノジュールは産出地によってそれそれに特長がある。当時の私は彼らの10分の1も石を叩けなかったが、そんな私でもアンモナイトを手にすることができた。

ある時、私は会の仲間と山にテントを張っての採取に出かけたことがある。車を河原に停め、胴長を履きリュックを括りつけたアルミの背負子を背負い、大ハンマーを手に列を組んで歩き始めた。山道、河原、川の中と5時間も歩き目的地に到着。早速テントを3個張る。夕方、それぞれがグループに分かれ沢に入った。同行した私も割られていた石などを叩きアンモナイトを採取した。夜はそれそれで食事をつくり、明日の健闘を誓い合う。夜、熊に襲われないようにと注意があった。次の朝、皆は思い思いに沢に入り、それぞれの収穫があった。帰路、5時間歩けるか、みんなについて行けるか不安な私は敢えて先頭を歩いた。収穫の重みで肩が痛くなり、車に戻った時は心底ほっとした。

ポリプチコセラス (Polyptychoceras Yabe, 1972 )属は白亜紀コニアシアン、サントニアン、カンパニアン層から産出する。左の標本 Polypty­choceras psudogaultinum は私が採取したもので、羽幌で仲間と5時間歩いたときの物。ポリプチコセラスの学名の意味は折り畳まれた化石という意味である。この属は小平、芦別、羽幌、古丹別、浦河、美唄など北海道の広範な地域から産出している。

アンモナイト属の化石採取には、文献を確保し地質図があると大いに役に立つ。特殊な属は生息期間も短いことが多く、時代を決める「示準化石」の場合が多い。どの地層から何か産出するかを良く調べ、その地層を時間をかけ丹念に探すと、目的のアンモナイトを手にすることができ楽しくなる。

『美術ペン』121号(2007年06月09日発行)より

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