真駒内公園のイタヤカエデ

―木に向かう(2)―

福岡幸一 (版画家)

札幌市南区真駒内の柏ヶ丘に、5000年前の縄文遺跡がある。真駒内にあった原始林には豊平川の豊富な伏流水が自然湧泉で見られ、鹿が群生しアイヌ人たちが住んでいた。

1876年(明治9)、豊平村真駒内(アイヌ語で、mak-oma-nai=山奥に・入っている・川の意味)にアメリカから農業技師のエドウィン・ダンが招かれた。彼は六6年間で北海道酪農の基礎を築いた。 2800ヘクタールの大牧場は、牛、馬、羊、豚、兎、鶏、アヒルなど全国一の畜頭数で、さらに養蜂が営まれる牧歌的なところであった。

「開拓使真駒内牧牛場」は「真駒内種畜場」「北海道庁種畜場」「北海道農業試験場畜産部」と順次改名され、日本近代酪農発祥地として70年間発展してきた。

「冬のイタヤカエデ」
1995「冬のイタヤカエデ」(69.5cm×58.0cm)

太平洋戦争敗戦の翌年1946年(昭和21)、畜産部は進駐軍に接収され、新得町に移転させられた。牧草地は専用ゴルフ場に造成された。1954年陸上自衛隊と入れ代り、1959年以降、一部は道営団地になった。ゴルフ場は道営となり、1972年冬季オリンピックを契機にアイスアリーナ、屋外スケート場ができ、真駒内公園として生まれ変わった。

この地域には原始林と種畜場時代からのミズナラ、ハルニレ、イタヤカエデ、ポプラなど古木が点在している。

公園の西側にある屋外スケート場を迂回し、さらに奥へ奥へ進むとイタヤカエデの古木がある。樹齢は250年と言われている。

1994年、私はこのイタヤカエデの古木と向き合う機会を得た。この樹は、こぶを沢山つけ斜めに立っていた。公園には、自慢の太い尻尾を立てたエゾリスが遊び、静かな自然に色合いを添えていた。私は何度も公園を訪れ、その樹を眺めた。やっとその樹と向き合うことが出来てきたと思えたとき、制作に入る決意をした。(20年以上前、私は葉を落とした木の力強いフォルムに魅せられ4点の作品を作ったことがある。)

翌年の真冬、下絵の仕事に取りかかった。柏ヶ丘に車を止め画板を抱え公園の中を歩き、その樹に向う。途中、歩くスキーの人たちとうすれ違う。私はかぶりつきの場所に陣取り、1日1時問と決め、週に2、3回のペースで通いつめた。

20時間、30時間と向き合うようになると、やっとこの樹をを描くことが自分の中で位置づき、同時に樹に逢う事が楽しくなり、下絵が完成していった。1枚でこの樹を描き終るには勿体なく、別の角度からも描くことにした。気がつくと春になっていた。樹にはクマゲラをはじめ多くの鳥たちがやって来る。周りにはカタクリが芽吹いてきた。1日の制作時間が長くなっていた。

ある日、4、5時間と描き続けた頃、太陽の日差しが樹を丸ごと包み、その陽光に向かってすべての小枝が伸びていることに、ふと気がついた。この樹の全貌が見えた瞬間であった。翌年にもう1枚描き、たて続けに3点の作品が出来た。

1995年、この樹イタヤカエデから始まり、その後の制作の中心は冬の樹である。

『美術ペン』108号(2002年12月25日発行)より

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