山鼻公園のスズカケノキ

―木に向かう(3)―

福岡幸一 (版画家)

授業を終えた山鼻小学校の子どもたちが、私が描いているスケッチを物珍しそうに覗き込み「この樹を描いているんだ」「絵かきさんですか」「そっくりだ」など声をかけてくる。1996年の早春のことである。

「スズカケノキ」は葉を落とし、幹・枝の全体が見えた。数え切れないほどの丸い鈴のように見える焦げ茶色の実はゆらゆら風になびき、ぶら下がっていた。

真冬とは違う暖かさの中で1日2、3時問は下絵が描けた。肩の力も抜け5、6回目には樹形を捉えることができた。30時問程で下絵は完成した。スズカケの実が作品をリズミカルにしてくれたのだろうか。

十数年前、札幌市中央区の山鼻公園に、幹周りが4mもある大きな樹が何本もあることに気づいた。その樹は枝を横へ横へ、上へ上へ真っ直ぐに伸ばしていた。幹の厚い樹皮は堅く、太い枝には特有の斑点がある。スズカケノキである。樹高、30mもありそうなその樹の姿は、伸び伸びとして清々しかった。いつかこの樹を作品にしたいと私は思っていた。

「冬のスズカケ」
1996「冬のスズカケ」(69.5cm×57.5cm)

公園の周りの環境は以前とはすっかり変わり、脇には高層マンションが建っていたが、公園の中にあった大きな樹々に変わりはなかった。背景に藻岩山が在った。

1924年(大正14)、山鼻村開村50周年祝賀会の写真に4、5年の幼木で写っている。この樹の樹齢は80年になる。

その昔、医聖ヒポクラテス(BC460-375)がギリシャのコス島で大きな葉の木陰で若き医学徒に医道を伝授したことでも知られている「ヒポクラテスの樹=スズカケノキ(鈴懸の木)」。学名は「プラタナス」。生育が旺盛で、モスグリーンの木肌は成長と共に樹皮が剥がれ斑点模様ができる。5月、緑の新しい珠が長い紐の様なものにぶら下がり、その後、茶色の細い糸状(花)に包まれる。翌月には緑の実となり、秋には焦げ茶色の綿を固めたようになる。この鈴は冬を越し早春の芽吹きまで下がっている。

山鼻公園に「山鼻兵村開設碑」がある。山鼻地区は「辛末(かのとひつじ)の村」と呼ばれ、その後一時「山端」と。1870年から71年に本願寺移民が始まった。1874年(明治7)、開拓使は北方警備と北海道開拓を目的に「屯田兵条例」を発布した。同年、 「山鼻村」となり、1876年、240戸の屯田兵が入植した。

この辺一帯は、屯田兵の中隊本部を中心に練兵所が大きく広がっていた所であり、その一角に大きなカシワの古木が残されていた。推定樹齢230年、幹の太さ60cm、高さ18m。1976年(昭和51)、この木は切り倒されたが、幼木の2世は山鼻公園、山鼻小学校にあり、今も此処に原始の森があったことを語り、生き続けている。

『美術ペン』109号(2003年4月30日発行)より

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