仁木町フルーツパークに、長寿のオウトウ「北光」の樹がある

―木に向かう(10)―

福岡幸一 (版画家)

明治の開拓期、仁木村(現=仁木町)の山田国太郎氏は、りんごの防風林として二十数本のオウトウ「北光」を丘の中腹の土に植えた。現在も7本が残り、その1本が地続きの「仁木町農村公園フルーツパークにき」の丘にある。ひと際大きなその樹は、幹が根元からV字形に育ち見事な樹形をなしている。樹は100歳ほどで、2本の幹はウロとなり、幹周りは共に2mほどである。最近、この樹の根元に2.5mのアオダイショウの抜け殻があったという。

小高い丘からは余市湾と積丹半島のシンボル、シリバ岬がよく見える。樹・海・岬は余りにも絵を描く条件が整い過ぎ、私には不向きに思えた。それにしても海は魅力的で捨てがたく、幾度も訪ねた。ある時、余市湾が青空に抜けていた。私はシリバ岬をさりげなく描き入れることで、作品にできるかなと考えた。

オウトウ - 北光(水門)-
2003年 オウトウ - 北光(水門)- (40.0cm×100.0cm)

2003年明け、フルーツパークの「北光」を下見した。人が歩いた形跡はなく、膝までずぼ、ずぼっと雪に埋まりながら、やっとたどり着いた。そこには葉を落とした、すっきりとした「北光」の樹形があった。吹きさらしの丘の強風が気になった。

2月、下絵の制作に取りかかった。初日は雪が降り続き、用意したコンパネ3枚を担ぎ上げるにとどまった。次の日、何度も描く位置を確認し描き始めた。5、6回で樹形全体を捉えることができた。この間、何度となく岬のよく見える根元で休憩をとった。「北光」の枝にすっぽりと包まれた根元からの眺めは、水平線が低く見え、ゆったりとした気分となり心地良かった。私はこの心地良さを絵に取り入れたくなり、試行錯誤を繰り返した。手前の雪に埋もれた枝と樹の根元に空間を生みだし、シリバ岬を適度に納めることができた。この問、雪は毎日毎日飽きずに降り、一日中強い風が吹いた。「風よけコンパネ」には何度も助けられたが、私の全身は冷えきった。下絵の完成までに13回、気がつくとひと月が過ぎていた。

「北光」は1911年(明治44)、小樽市の藤野園で発見された偶発実生種。この果樹園の水門の近くにあったことで「水門」の俗称で呼ばれている。その後、長く本道の主要品種として王座を誇り、1975年(昭和50)、オウトウの占有面積は60%を越えるまでに至った。折良く山形で「南陽」が出現し、道内でも栽培されたことで受粉悪化が防がれたという。

学術分野では木も実もオウトウ(桜桃)である。収穫されると果実は一般的に「サクランボ(桜ん坊)」の名前で呼ばれている。

『美術ペン』116号(2005年8月30日発行)より

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