仁木町に123歳の老樹「いわい」が生り続けている

―木に向かう(12)―

福岡幸一 (版画家)

『北海道果樹100年史』(1971刊)で樹齢90年を越えた老大木として紹介されている木は、1883年(明治16)、開拓使から仁木村(現仁木町)に配布されたりんごの苗木「祝」で、今日まで老樹として生き続けている。北海道に現存する果樹で最も古く、1970年(昭和45)の台風で一方の主枝を折損したが、旺盛に実を付け市場に出荷されてきた。

2003年3月、この老大木が生き続けていると聞き、早速果樹園を訪ねた。その樹の幹はすでに弓なりになり、その先は上下に別れそれぞれに伸びた枝は庭木のように整然と剪定されていた。優しく大切に見守られ生き続けているようだった。私はその場で描かせて貰う約束をした。

りんごの樹 - 祝 -
2003年 りんごの樹 - 祝 - (45.0cm×63.9cm)

時間を作り下絵の制作にとりかかった。樹の幹周りは1m50cm程で、根元から風にさらされ芯が剥ぎ取られ大きなウロとなっていた。しかしその空洞さえ風格を感じるのだ。さらにウロの先2mは8割を腐乱病で失い残された芯と樹皮でかろうじて生き延びてきたのだ。自力で立てず「かすがい」に支えられ目をそむけたくなるほど痛々しい。しかし、枝先には上下に若い枝が育っている。すぐ脇に、この老木の命を引き継ぐ「ひこばえ」がしっかり育っていた。この老樹に向き合えば向き合うほど、120年の重みが私に迫ってくる。気を鎮め、ひと呼吸入れて下絵を描き始める事ができた。4月だというのに雪に悩まされ思いのほか時間がかかったが、下絵は完成した。

明治の開拓当時は自然に近い放任状態の栽培で、幹に太い丸太の支柱が立てられ、枝は3段ほどに張られていたという。そんなりんごの木も昭和の末には台木がりんごから「さんなし」に変り、矮(わい)化が進み早熟で樹高が低くコンパクトな栽培となった。生産高が上がり労働力も節約できたというが、根が張らないため台風の被害を度々受けている。

りんごの樹は50年の寿命があるといわれているが、現在では20年から25年程で種類が切り替えられているという。そんな時代を潜り抜けてきた「祝」。極早生でお盆のころ見かける細長い青りんごで、味はいくらかえぐみがある。しかし、9月の中頃に赤みがつき完熟する。私もその実を分けて貰った。ぱりっとした歯触りでさっぱりとした味である。

また、興味深いのは剪定作業である。剪定の原則は「太陽エネルギー」をどう受けるかで自然の木と同じ原理である。剪定技術は受け継がれるものではなく、剪定する人が自由に選択できるという。私の関わった農園の果樹はそれぞれ独自の樹形をしていた。

2005年4月、仁木町教育委員会はこの老樹を果樹では初めての文化財に指定した。ちなみに青森県泊村には1878年(明治11)に植えられたりんごが日本一の老大樹として1961年(昭和36)、県の天然記念物に指定され現存している。

私は白黒の版画の魅力に取りつかれ、「板ベイの風除け」「採石場」「樹・果樹」へと描く対象は変わってはきたが、モノトーンの雪のある風景を描き続けてきた。それが結果的に「北の風土」に向き合うことに繋がっていた。

『美術ペン』118号(2006年5月15日発行)より

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